小学校入学に欠かせないランドセル。子どものころから当たり前のように口にしてきたその名称ですが、「なぜ“ランドセル”っていうの?」と疑問に思ったことがある人も多いのではないでしょうか。

実はランドセルには、深い歴史や日本らしい文化的背景があるのです。

本記事では、ランドセルのルーツから現在の進化までをわかりやすく解説。ランドセルの歴史を知ることで、ランドセル選びをより豊かな体験に昇華できるかもしれません。

※本記事はランドセル工業会「ランドセルの歴史」「ランドセル130年史」を参考にしています。

軍隊のカバンが原型?ランドセルのルーツ

今でこそ“子どもの通学かばん”として当たり前のように使われているランドセルですが、その原点はまったく違う場所にありました。

ルーツは江戸時代末期、軍隊の「背嚢(はいのう)」

ランドセルの起源は、江戸時代末期にまでさかのぼります。当時の日本では、幕府が西洋式の軍隊制度を導入しはじめており、兵士の装備も近代的に変わっていく時代でした。

その中で使われていたのが、「背嚢(はいのう)」という荷物を背負うための布製のリュック型カバン。これが、ランドセルのはじまりとされています。

ランドセルの語源はオランダ語の「ransel(ランセル)」

この「背嚢」はオランダから伝わったもので、現地では「ransel(ランセル)」と呼ばれていました。“ランセル”という言葉が、日本語として変化したのが“ランドセル”。今日使われている名前のルーツは、オランダ語にあります。

ただ、「ランセル」がどうして「ランドセル」になったのか、その理由には諸説あります。

最もよく知られている説は、日本人がオランダ語の発音を聞き取り、真似する中で“ド”の音が加わったというもの。オランダ語では、子音が続くと発音を滑らかにするために「t」や「d」が挟まるように聞こえることがあり、それが“ランドセル”という呼び名につながったと考えられています。

そのほかにも、オランダの地方によって発音が異なることや、ドイツ語訛りが混ざって伝わったという説も存在します。

実際に江戸時代の蘭学者・高野長英が訳した軍事書には、「担筪(ラントスル)」という表記もあったとされており、当時はまだ言葉としての形が定まっていなかったことがうかがえます。

明治の教育改革が生んだ、ランドセルの通学カバン化

ランドセルが“子どもの通学かばん”として本格的に使われるようになったのは、明治時代の教育制度改革が大きなきっかけでした。ただの便利な道具ではなく、「平等な学び」の象徴として、ランドセルはその役割を担ってきた歴史があります。

「家庭の格差を持ち込まない」学習院の方針転換

1885年(明治18年)、学習院初等科は大きな方針転換を行いました。

学習院は、江戸時代の末期に設立された、皇族や華族の子弟が通う名門校として知られ、近代教育の礎を築いた学校の1つです。当時の学習院は、華族(上流階級)の子どもたちが通う名門校で、通学は馬車や人力車、荷物は使用人が持つというのが一般的なスタイルでした。

しかし、学習院はこの状況を見直し、次のような理念を打ち出します。
「教育の場に、家庭の経済格差を持ち込むべきではない。学校では皆が平等であるべきだ」
この考えに基づき、馬車通学や使用人による荷物運搬が禁止されました。

軍用の背嚢(はいのう)をヒントにした通学スタイル

馬車や人力車を使えなくなった子どもたちは、自分で荷物を持って通学する必要が生じました。そこで注目されたのが、軍隊で使われていた「背嚢(はいのう)」です。

当時の背嚢は、荷物をしっかりと背負えて、両手が空く実用性がありました。子どもたちが安全かつ公平に通学できる手段として、軍隊スタイルの背負いかばんが採用されたのです。

この流れが、ランドセルを“通学かばん”として使う最初のきっかけになりました。

大正天皇の入学祝いがランドセルの原型に

そして1887年(明治20年)、当時の皇太子、のちの大正天皇が学習院初等科に入学する際、内閣総理大臣だった伊藤博文は、入学のお祝いとして特注の箱型の通学かばんを献上しました。

これが現在のランドセルの原型であり、後に「学習院型ランドセル」として定着していくことになります。

ランドセルは「教育の象徴」へ

その後、1890年には黒革素材に、1897年には縦横のサイズや仕様が統一され、ランドセルは全国へと広がっていきました。このときに定められた基本形は「学習院型ランドセル」と呼ばれ、現在でも多くのランドセルがその形を踏襲しています。

実に130年以上もの間、大きく形を変えることなく作られ続けている。そのようなカバンは世界中探してもありません。

この流れを見ると、ランドセルは単なるカバンではなく、子どもたちが自分の力で学びに向かうための道具であり、教育における平等と自立を象徴する存在として発展してきたことが理解できるでしょう

昭和・平成・令和 ランドセルの進化と今

ランドセルは明治時代に形が整えられて以来、130年以上にわたって基本の形を守り続けています。しかし、その一方で、素材や色、機能面は時代とともに大きく進化してきました。

ここでは、各時代において、ランドセルがどのように変化してきたのかを振り返っていきます。

昭和前期:全国に広まったランドセルと統一化の動き

戦前は本革製で高価だったランドセルも、昭和30年代の高度経済成長とともに一般家庭に普及。「男の子は黒、女の子は赤」といった色の定番もこの頃に広まりました。

同時に、各地でメーカーが増えたことにより、サイズや仕様にばらつきが出て混乱が生じたため、業界内での統一活動や組合設立が進められたのもこの時代です。

昭和後期〜平成:クラリーノ®登場とカラーバリエーションの広がり

昭和39年、人工皮革「クラリーノ®」が登場。軽くて丈夫で、水に強くお手入れが簡単なこの素材は、ランドセルの素材として徐々に採用されるようになりました。

平成に入ると、クラリーノ®の特性を活かして多彩なカラーやデザインのランドセルが一気に増加。ランドセルは“選ぶもの”へと進化し、子どもたちの個性を表現するアイテムとして定着していきました。

令和:多様化とジェンダーフリーの時代へ

現代に入りランドセルは、性別にとらわれず自分らしい色や形を選ぶジェンダーフリーの流れや、早い時期から準備を始める「ラン活(ランドセル活動)」など、より自由で多様な価値観に寄り添う存在へと進化しています。

一方で、130年以上続く“箱型で丈夫なつくり”は今なお大切に守られており、変化の中にも、ランドセルの本質がしっかりと受け継がれています。

ランドセルの背景を知ることで、より納得のいく選び方に

ここまで見てきたように、ランドセルは、ただの通学かばんではなく、130年以上の歴史を通じて、時代の価値観や教育のかたち、子どもたちの成長に寄り添いながら、その役割を柔軟に変えてきました

素材や色、選び方は変わっても、“子どもが自分の荷物を背負い、自分の足で通学する”というランドセルの本質は、今も昔も変わりません。入学準備の際には、ランドセルのことを少し深く知ってみることで、より納得のいく選択ができるはずです。

ぜひ、ご家庭にぴったりのランドセルを見つけてみてください。

子どもの身体にやさしい「ごとうじゅうランドセル」

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